【作品解説】『小説 蛭子』(2)
『古事記』は、上・中・下の三巻から成るが、この物語の背景は、天孫系神話、出雲系神話、筑紫系神話が収められた上巻だけであることにまず注目したい。もともと波乱万丈の物語があってはじめて、新しい血を注ぐ意欲が湧く。建国創業伝説、国家統一伝説、海外交通伝説などの収められた中・下巻は、物語性が弱く、再創造しようにも想像力を働かす余地がほとんどない。事実、『古事記』の魅力は上巻に集中している。
次に作者はなぜ蛭子を主人公に選び出したのか。蛭子は不完全な子として生まれたために海に流されるが、神の子である以上、他の神々と同じように永遠の生命を持つ。あらぶる神々を鎮めることのできるものがあるとすれば、それはイザナキとイザナミの長子であり、障害を持つゆえに喜びと悲しみをよく知る蛭子のほかにはないことを作者は確信したに違いない。医師である作者は、流産または中絶による水子と呼ばれる無数の胎児を蛭子に重ね合わせているとも考えられるし、また、この物語は貴種流離譚の一つと見ることもできる。
物語のメインテーマは、作者の古事記論『変容する神々』と同じく、神々を変容するものとしてとらえたところにある。イザナキ、イザナミをはじめ、アマテラスもスサノオも、神々が代わる代わる宿る蛭子も、変容を重ねる。それらは、私たち人間の生きざまそのものでもある。神と人間との距離は決して遠くはない。つまり、『蛭子』は神々の物語であると同時に、人間の物語として読むこともできる。
『蛭子』には忘れられないシーンがいくつもあるが、戦うことを放棄した蛭子とスセリヒメが抱き合うラストシーンは、ことに印象深い。『古事記』は平和の思想の書でもあるという作者の主張が、みごとに結実したシーンでもある。
さいごに、一読者として私がもっとも共感したことについて触れておきたい。この物語が多神教の世界がいかに豊かで奥深いものであるかを描き出し、二十一世紀の世界のありかたに貴重な示唆を与えていることに、私は心から共感し、敬服する。周知のように、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教に代表される一神教の思想が、世界にいま、息づまる危機感をもたらしている。私は決してナショナリズムではないが、八百万の神に象徴される、私たちの日常に根づいている寛容な多神教の思想こそが、唯一とはいわないものの、世界の危機を救う有効な思想だと考える。
その思想の源である『古事記』をモチーフとして生まれた『蛭子』は、その意味でも、さまざまに私たちを励まし、勇気づけてくれる。『蛭子』の世界は、十代の読者でも十分に理解できる。少年少女も、そして若者たちにも広く読まれてほしいと切に願う。(了)
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