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第52回 麻黄(その三)

中国甘肅省敦煙は数多い中国の観光地のなかでも、日本人に最も人気のある地で、訪れた方も多いのではないだろうか。私は数十回も中国へ出掛けているが、敦煙に行く機会に恵まれず、昨年やっとその目的を果たすことができた。
 半砂漠地帯のオアシス都市敦煙。小高い段丘地帯に掘られた数百の窟に、静かに悠久の笑みをたたえる仏達。町のはずれの砂丘鳴沙山。そこへ導いてくれる酪駝の背の旅。心臓破りの急坂を登って眺めた砂漠の落日。眼下の砂漠の小湖水「月牙泉」の輝き。すべて旅人の旅情を癒してくれる美しい詩の世界であった。人生の終着駅近く、この地を訪れることができた神の配慮にただ感謝した。

この旅の第二の目的地は内蒙古西北部の町エチナ。甘肅省酒泉からゴビ砂漠に続く巴丹吉林砂漠を約480キロも北上。エチナの蒙医院や蒙民間医との交流、中世栄えた西夏王国の故城黒水城の観光が目的である。
 酒泉のホテルを八時に出発。姶めのころは途中道路際に生えている甘草を観察したりして長閑な旅。しかし、砂漠に入って、待機してくれていた四駆のパジェロ5台にそれぞれ分乗。ただひたすら360度一望千里の砂漠のなかを走りに走るだけ。砂漠といっても地面は砂ではなくいろいろの小石が胡麻を撒いたように敷きつめられている。野生の酪駝の親子に出逢ったりしてひた走る。正午をとうに過ぎ腹もかなり空いてきた。砂漠のなかは家というものは全くない。時々のトイレ休憩は、男性はともかくとして女性は砂漠の凹凸地の陰で用を足すのである。
 午後三時を廻って、丘陵地に入ってやっと昼食となった。朝ホテルで作ってもらった弁当。パン、ソーセージ、リンゴ、バナナなどを、ポリ缶の飲料水で食べる。大砂漠のなか、中天の太陽を浴びて円陣の食事、食べてるものは貧しくとも、こんな経験は人生でそう得られるものではない。

この一帯に麻黄があったのである。タマリスクの株もまじえて麻黄が可憐に生きている。一同大喜び、なかには赤い実をつけている株も見られた。それぞれカメラに収めたりして観察したが、休憩時間は短く、目的地はまだ遠い。私にとって2003年新彊ウイクル自治区の旅で初めて麻黄と出会えて以来、二度目の麻黄との出会いであった。
 食事を終えた車列は、今度はもう道路を走らない。道路はもう無くなってしまったのか、只、砂漠のなかの轍の跡を辿って走りに走る。車列もいつしか乱れてしまって、各車てんでんばらばら、吾々には何を目標に走っているのかは分からない。この地方の日暮れは午後9時過ぎだから、それでも日が次第に西にまわって傾いてくると、多少不安になってきた。8時頃、やっとという感じで道路にぶつかり、今度は道路上を走る。この地方の標高は1200メートル、砂漠の夕日夕焼は美しい。暗くなってきてやっと前方にエチナの町の灯が見えた時は嬉しかった。
 9時半エチナの町の招待所に到着。厳しかった13時間半の砂漠のドライブ。夕食の際のビール、白酎のおいしかったこと、苦労を共にした運転手諸君とともに、乾杯乾杯を重ねた。麻黄との出会いは短い時間ではあったが、旅の厳しさとともに決して忘れることはない。

No.392[2006年6月15日号]  
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