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【書籍紹介】『古事記 変容する神々』

いまなぜ古事記なのか……
古事記の神々の変容に、
平和を愛する「和」の心

来年、新潮社が古事記の朗読CDを発売するという新聞記事をみた。歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんが、古事記の全巻を朗読したという。
 古事記という書物の名前を知らない人は、おそらくいないだろう。しかし、そこになにが記されているのか、その内容まで詳しく知る人は意外に少ないのではないだろうか。

古事記の序文には「上古においては言葉もその意味も、ともに飾り気がなく、どのように文字を書き表したらよいか困難なことがある」云々と記され、編纂作業に苦心惨憺のあとがうかがえる。古事記には漢字と漢字、文章と文章の隙間に、記述されていない作者の想いがあるようだ。それだけに、解読を試みる人たちにとって、大変な魅力を発しているようなのである。
 一方で古事記には、国家権力によって国民を自在に動かす道具として利用された歴史的経緯があり、それをよく知る人たちには、その時代の暗い影が古事記にともなって映るということもあるようだ。
 ともあれ、ここでは先ごろ出版されたある古事記の解読書を紹介したい。『古事記 変容する神々』(佐賀純一著、東洋医学舎刊)だ。

古事記の神々は神格が本質的に
変わってしまう「変容する神々」

この本をみると、古事記の神話は断片的な物語の寄せ集めではなく、初めから終わりまで一貫して流れるストーリーがあることがわかる。登場する神々の個性は、配役を与えられた役者のようにそれぞれが際立っている。神々は、何の前触れもなく迫りくる深刻な事態が連続する物語の渦中で悩み苦しみ、いくつもの難題を乗り越えながら、さらに押し寄せる荒波に藁をもつかむ様相を呈している。古事記の神々はふりかかってくる事件を、神であっても自分で選ぶことも予測することも、回避することもできないようだ。

著者の佐賀純一氏は、神話の中で、神々の神格が本質的に変わっていること、つまり「変容」していることに着目した。その変容は何によって生じ、どういった方向に変容していくのか。そのことでどんな風に世の中が変わり、それが何をあらわしているのか。それらを本書で読み解いている。

神々の変容は、この世の理や不条理をあらわす

これら神々の変容のありさまには、私たちの世界にも通じるこの世の理(ことわり)や不条理が、深く描かれているという。
 例えば、日本を生んだ美しい女神イザナミは、火の神という文明社会を象徴する神がどんな神なのか知らず期せずして生んだのだが、そのために子宮が焼け爛れて死に至り、さらには平和な原始共存社会を壊したという重罪によって永遠の業罰が下り、黄泉の国の鬼に変容する。

これについて佐賀氏は、「諸刃の剣である火というエネルギーがもたらした文明が日本の古代社会に生み出した革命的変化は、今日の社会でも解決されていないし、世界中が現在抱える最も大きな問題である貧困、打ち続くテロ、暴力の連鎖と、エネルギーの過度の使用による地球温暖化などに象徴されている。その難問は今後ますます深刻化していく可能性がある」とコメントし、「この流れはいかに大きな神の力でもとどめようがない」と本書に記している。

また、すさぶ神スサノオは、親の怨念を背負って生まれ、独裁者→追放犯罪者→愛する女性との出会い、愛への目覚め→英雄→慈愛に満ちた王へと、見違えるような成長ぶりをみせる。別人に生まれ変わったような「死と再生の変容」を遂げているのである。怨念や不安、おののきの感情を苦しみながらも凌駕し、昇華する過程でおこる変容を、古事記は象徴的に描いているようだ。
 この思想は、このあとスサノオの子孫たちが登場し、「和」の精神をあらわす「八百万の神の合議」、「国譲り」といった物語に帰結していく。こうして神々の世界の国家体制は、独裁制から合議制、共和制へと変容していくのである。

古事記は国家を独裁、暴力、戦争から
平和と歌の世界へ導く理念の書

本書によると、古事記の作者は、三十一文字の芸術である「和歌」が、平和な理想国家へと導く力を具有していると捉えていたようだ。
 古事記編纂と一致するこの時期、日本は共和制を確立し、律令国家を完成させて、400年もの長きにわたり大きな戦乱を見ない平安の世たらしめたという歴史的事実がある。和歌はここで大きな役割を果たしていたのかも知れない。

佐賀氏は、古事記の編纂者たちが、編纂前に終結をみた壬申の乱という悲惨な戦乱を目の当たりにして、古代専制国家がおこなった独裁政治が「万の災い」をもたらすものであることを痛切に感じたであろうと述べている。そして、神々の変容の物語と、陰惨な歴史的史実を明確に書き記すことによって、それらを後世に示そうとしたと解釈している。
 古事記は、独裁、暴力、戦争などの悲劇から国家を救い出すという難問と正面から取り組み、平和と歌の世界へと導く理念の書として、「今日の私たちにも通じるメッセージを発することのできるたぐいまれなる書物である」と記しているのである。

古代の人々が残した日本の原典がいま時代を越えて、さまざまな問題を抱える現代人をサポートする役割を担い、さらにそこにあるメッセージを、私たちが誇りと自信をもって世界に発信できたなら、すばらしいといえるのではないだろうか。

佐賀純一氏について

医師であり作家である佐賀純一氏は、以前『歓喜天の謎』という神社の彫刻や仏像に関する本を出版するなど、神話や歴史、宗教、哲学に造詣が深い。佐賀氏の視点は、世界各国で翻訳出版されているロングセラー『土浦の里』や『筑波山麓愛ものがたり』、『浅草博徒一代』(新潮文庫)『戦争の話を聞かせてくれませんか』(新潮文庫より7月26日発売)などの随所に見られる。日常の息遣いに目を向け、耳を傾け、それらを愛し、尊ぶ。作品のそれぞれに、哲学的かつ宗教的な深遠さとともに、人や現象、自然などの個々に対する畏敬の念がある。
 また今般『古事記 変容する神々』と同時刊行された『小説 蛭子(ひるこ)』には、愛に導かれるストーリーとともに、光や音、あたたかさや凍てつく寒さまで感じられる鮮やかな情景描写があり、感動に出会える一冊だ。

(漢方医薬新聞編集部・田部井志保)

 東洋医学舎刊
 2005年5月発行
 四六判・上製・282頁
 定価 1680円

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