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第53回 大黄(その一)

大黄は傷寒論中の薬方を構成する数ある生薬のなかでも、ことさらに重要な薬のように思えるのは私の偏見であろうか。それは発表発汗をつかさどる青竜系の桂皮・麻黄、中和をつかさどる白虎系の石膏・柴胡、温補補給をつかさどる玄武系の附子とともに、清熱潟下をつかさどる朱雀系の主薬は大黄である。
 傷寒論収載の薬方はその運用によっては、重患の症状を一剤の投与によって、狂欄を既倒に廻して回復させ得る、正に神方と称してよい薬力を発揮する斬れ味を持つと言われているが、大黄を主薬とする薬方は、これに該当しているように思える。

吾々生薬業者が日々取扱ってきた大黄は、雅黄といわれる四川省産の軽質大黄と、錦紋大黄と称される青海省産の重質大黄の二種類があったが、戦後いち早く香港の生薬問屋経由で出廻ったものは、この雅黄であり、錦紋大黄が日本へ入り始めるのは、戦後もかなりたって中国との直接貿易も拡大しつつあった頃である。
 当初は中国産生薬の日本への輸出は、中国土産畜産進出口総公司という北京の窓口一つが取りしきり、日本の生薬業者は、春秋の広州交易会の期間中、この総公司の窓口ヘ日参して、やっとの思いで必要とする生薬の売買契約に漕ぎつけたものであった。しかし、1978年の邸小平の鶴の一声、改革開放政策への一大変換によって、生薬も中国各省の生薬公司との直接取引が可能となり、完全に中国の売手市場であった生薬が、次第に日本の買手市場へと変化していった。

その頃、広州交易会の青海省の公司で見た錦紋大黄は驚異ですらあった。横断面は美しい紋理を呈し、戦中戦後の永い年月、錦紋大黄の言葉は、知識の上でその序在は知られていても、実物に接する機会はなく、まさに幻の大黄の感があったのである。その錦紋大黄に接した喜び、品質によっていくつもの階級にクレード分けされていて、価格もそれぞれに違っていても、その幻のような大黄の輸入契約ができたのであった。
 この頃の上質錦紋大黄は生産地でも貴重品であったのか何キロ単位で、ブリキ缶に梱包されて送られてきたのも、今だに強く印象に残っている。本の生薬需要の大半は中国からの輸入に依存していることからも、また中国の主要都市に大きな生薬市場が存在して、日々膨大な量の生薬が流通している点からみても、かねがねこと生薬に関する限り、中国は間違いなく生薬先進国であると考えてきていた。

No.393[2006年6月20日号]  
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第53回 大黄(その1)
第52回 麻黄(その3)
第49回 黄蓮(その4)