第54回 大黄(その二)
大黄の産地へ行ってみたいという願望はかなり以前から抱いていた。しかし二十数年も前の時代では、日本と中国との間の往来もそう自由ではない。四川省や青海省の奥地へと同行してくれる伝手はそうなかったのである。
その永年の願望が実現されそうになったのは、平成七年、一九九五年になってからであった。今から十一年前である。大阪の日中経済貿易センターという、日中間の貿易を斡旋する団体は、それ以前から「生薬研究者訪中団」を組織して、年に一回中国へ送り出してきていた。この団は産・官・学の生薬研究者を団員として、毎年対象の生薬を定め、団員を募集した。その年のテーマは大黄と附子、訪問先は四川省の奥地である。私は欣然として応募した。
九月中旬、四川省の省都成都を起点に、十五名ほどの団はバスで出発。長江支流の岷江の流れに沿って北上する。午後、標高が三千米を超えたあたりで、道路右手の傾斜地に大黄を見つけた団員の「大黄がある」の声にバスを止めて下車、カメラを手に傾斜地をかけ登った。たしかに点々と大黄の株が自生している。早速カメラに収める。株を掘ろう、との声もあったが、今日の残された旅程の長さを考慮して、株の掘り上げは断念して、バスを先へ進ませた。まだ旅は始まったばかりである。これから先、まだまだいくらでも大黄に出会うに違いない。これはこの時の団員皆の楽観的な予測であった。
その夜は紅原という部落の簡素な招待所へ宿泊。次の目的地は甘粛省境に近い南坪。ここから小さな川を遡上して、大黄採集農家の訪問。この農家では吾々一行が来るということで、あらかじめ前日に掘りとった大黄を三株ほど庭に置いて見せてくれた。葉の形からするとタングチクムの錦紋系。これから一同を自生地まで案内してくれるのかと思っていたら、自生地は、ここからかなり山を登らねばならず、全員が出向くことは、時間的にも無理ということになってしまって一同ガッカリ。
結局、元気な若い人四名が代表して自生地まで行くことに定まり、出発して行った。待機組はそう農家に永居はならず、川を下ってやや広い河川敷で、先発組の帰山を待つこととなった。やがて遅い日も暮れてくる。流木などで焚き火をして目印とし、持参の食べ物や飲み物をのんだりして待ったが、夜も次第に更けてきてやや心配になり出した。それでも元気に四名が一下りてきて、採集した大黄を土産に合流できたのは夜も十時近かった。
当時の中国旅行にハプニングは付きもので、一々驚いていられないが、この第一回の大黄探訪の旅は欲求不満のままに終わってしまったのであった。でもこの旅で学んだものはほかにもあり、私にとっては意義ある旅となった。
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